神恵内物語  始まりはここから・・・


古宇(ふるう)と呼ばれていた江戸時代からニシン漁が盛んだった神恵内。村はニシン漁とともに発展します。大正元年には全道一の漁獲量を記録します。一つの漁場で七〇~八〇人の漁夫(ヤン衆)を雇い村は活気に溢れます。

ニシン場の親方は、漁の終わる五月~六月には稼ぎを持ち京都で豪遊。翌年三月の漁の始まる雪割りの頃に「三味線や歌のうまい人」「美人な人」を連れて戻ったそうです。


村内の道路が碁盤の目になっているのは、明治三三年の神恵内大火のあと、当時権力のあったニシン場の親方衆が京都との街並みを真似して区画整理したためです。

現在でも当時つかわれた袋間の跡を見る事が出来ます。

※青少年旅行村内にある「郷土資料館」には、多数の展示物があります。


石を積み袋間を作った痕跡は、現在でも(国道229号から)眺めることが出来ます。




遊郭に芝居小屋、映画館もありました

【遊郭】  昭和十年頃から神恵内にも遊郭が4軒ありました。売れっ子芸者のさっちゃんがいたそうですが、終戦後は取締りが厳しくなり遊郭は割烹料理屋に姿を変えました。

 

【芝居小屋】  旅から芸人が来る芝居小屋があり、村民の楽しみな娯楽の一つでした。村には女性だけで作られた「女歌舞伎」があり、人気を得ていたようです。村に住む女性十五人程が集まり、昭和二三年頃まで続いたそうです。

 

その他にも・・・

酒蔵2軒(さわのつる・かめのはな)、映画館、醤油屋、豆腐屋、石屋、下駄屋、せんべい屋、籠屋、たんきりあめ屋、などなど、たくさんの商店で賑わっておりました。


由緒ある、神恵内厳島神社

【神恵内厳島神社】

1603年創始。後志管内では唯一、松前藩の家紋を社紋とする由緒ある神社。

安芸の宮島・厳島神社より主祭神を祀る。

御本殿の造りが「春日造り」という北海道ではあまり見られない造りになっています。


海上渡御、海中禊ぎ、火渡りの3つの神事が見られる例大祭は 7月14、15、16日。